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はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

ミサイルというつながり

 アメリカ軍の空母艦隊が北上しています。北朝鮮の一連の軍事行動に対する牽制のための措置と報道されています。アメリカ大統領の人間性に信用がおけないまま、日本のすぐ近くで軍事衝突が発生する可能性があることになります。

 北朝鮮政府は軍事には軍事で対応すると言いきっています。アメリカのみならず、同盟国にもミサイル攻撃をすることをほのめかしており、東京もその候補のようです。どれほどの精度で目標に命中させる能力をもっているのか分かりませんが、国際社会から孤立した国家が世界的な視野を持っていることは期待できません。破れかぶれの攻撃を仕掛ける可能性はないとは言い切れないことが恐ろしいです。

 さて、国交のない北朝鮮とわが国の距離を何をもって測るかとなると、最近はどうもこのミサイルの射程距離のように感じます。これが届くか否かが基準になるというのは何とも残念な関係です。

現実の描写

 ナビ派の絵画を観て感じたのは現実を描くことの深遠さです。何かの絵を描くということは果たして対象の図形を紙面に再現することなのか、それとも対象から得られた表現者側の心象を描くことなのかということです。

 絵画だけではなく、文章表現においても同様の疑いがそのまま当てはまります。事実の描写というものがそもそも成り立つものなのかを改めて考えると話はさほど単純ではないことに気づくのです。

 同じものを見ても、同じ体験をしても、結ばれる映像や言葉は個々人で異なる。まずはその点の確認から始めなければこういう問題は分からない。最近は情報化のあまり、思考や行動までもが類型化もしくは画一化されています。自分の求める回答は検索すれば分かると信じている。

 でも、やはり自分以外の見る世界は何かが違うはずです。現実とどう向き合うのかが大切であるという、あまりにも根本的な確認を意識する必要を感じるのです。

オルセーのナビ派展

 有楽町駅近くの三菱一号館美術館で開催中の「オルセーのナビ派展」を観てきました。長い間、東京で暮らしながらこの美術館の存在を知らず今回が初めての訪問でした。都会の真ん中の美術館ですが、もともとオフィスビルとしてつくられた洋館の外見を再建した建物で、中身は現代的なものになっていました。展示室が小さく区切られており、暖炉風のオブジェが造りこまれているなど、面白い工夫もありました。

 さて、ナビ派というのは19世紀末にパリを中心に起きた芸術運動の一派です。ゴーギャンの鮮明な色使いに影響を受けた画家たちが、日本の浮世絵の平面的な絵画の手法も取り入れ、印象派よりもよりはっきりとした輪郭線を描くのが特徴です。リアリズムより絵画としての完結性を重視したということですが、今回の展示を観てやはりかなりわかりやすい絵画が多いと感じました。

 注目したのはモーリス・ドニという画家の作品でした。妻のマルトの肖像をたくさん描いており、その絵はどちらかといえば平面的な絵で、人物の表情だけが不思議に印象的でした。風景を正確に写すというよりは、絵画の手法を借りてそこに画家の思いを表現しているような画風といえます。このような絵があるとは知りませんでした。

 疲労が抜けない日曜日でしたが来た甲斐があったと思います。

疲労感大

 このところ仕事がたて込んでいるせいか疲労感が強く今朝はとても辛いです。やりたいことはたくさんあるのに。まずは休養かな。

刹那の追憶

 桜の花は終わりました。黒部に住んでいた頃は田圃の隅に植えられていたチューリップやツツジが咲き出すと季節の深まりを感じたものです。近くの生地の港までのジョギングは今考えてもとても楽しい時間でした。もし折あらば訪れてみたいところですが、おそらく果たせそうもありません。

叙景による叙情

 俳句の世界を教えるときに定型や季題はもちろんですが、肝心なのは叙景の文学であることを徹底することだと思います。自らの感情を語らず、目にみた自然や人事を語ることによって、その奥にある心情を表現するのがこの文学の基本なのです。

 生徒の感性を情ではなく、景に落とし込むのは意外と難しい。それが俳句の難しさであり、また面白さでもあります。名句鑑賞は大切ですが、私はこの俳句ならではの制約の多い創作の本質と、それがもたらす魅力とを感じさせたい。またそれを他人に伝えられるようになってもらいたいと考えています。

もう若くないさ

 二日酔いにほぼ一日中悩まされた一日でした。アルコールの分解能力は明らかに低下しており、かつてはなかなか酔わないことを自慢していた私ですが、いまはしっかり報酬が戻ってきます。
 こういうときにもう若くはないんだと痛感させられます。