はてなの毎日

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肉筆原稿

 昨日、鎌倉文学館で特別展の三島由紀夫をはじめ、いろいろな作家の肉筆原稿が展示されているのをました。筆記用具や字の書体、丁寧さなど様々であり、とても興味深いものでした。

 恐らく今多くの作家はコンピュータで小説を書いているだと思います。するとこのような展示はなくなっていくのかもしれません。自筆の場合、作家の個性が文字から伝わるだけではなく、推敲過程がほの見えるという魅力があります。

 現在の作家にも万年筆や原稿用紙にこだわりを持っている人もいます。完成までのさまざまな要素もまた作品であると考えました。

鎌倉文学館

 けだるさをおして鎌倉にドライブしました。鎌倉文学館は初めての訪問でした。現在は三島由紀夫豊饒の海」のススメと題する特別展示が行われています。館内は撮影禁止のため映像はありません。

 特別展は三島由紀夫が「豊饒の海」という大作をいかに書いていったのかがうかがえる展示になっていて大変興味深いものでした。転生というモチーフがどのように作品化していったのかが分かります。三島の原稿の文字は思ったより繊細で読みやすく丁寧に書かれています。また作品の構想を描いたノートが何冊もあることにも驚きました。

 庭園は海に向かう斜面にあり、文学館の屋根の上には鳶が旋回していました。もうすぐでバラの季節になると庭園がにぎやかになるはずです。

初夏の陽気

 西日本では初夏の陽気になるという予報が出てきます。関東もよく晴れています。この時期になると何ともけだるく、体調がすぐれなくなることがあります。おそらく季節の変わり目に身体がギアチェンジをしているのだと思うのですが、ちょっとした疲労感倦怠感が付きまとってなりません。こういう時は思い切って何かをするに限ります。

浦島太郎

 授業で御伽草子の浦島太郎を扱うことになり、浦島太郎の話をどのくらい知っているか中学生に質問してみました。だいたいの生徒は大筋で答えられたのですが、よく分からないという人も多数いました。どうやら知っているのは当たり前とは言えないようです。

 桃太郎の歌は歌えても浦島太郎になるとほとんど知らず、金太郎は絶望的に知名度がない。金太郎はストーリー自体を知らない人が大半です。携帯電話のCMでは対等な英雄ですが、どうもその地位はかなり危うい。

 口承で伝承されてきたこれらの話は伝える人がいなくなると消えてしまいます。授業で昔話を話してから始めなくてはならないというのは何とも寂しい。日本の文化の行く末を暗示するエピソードなのかもしれません。

感性を磨く

 効率化や生産性を追求される毎日を過ごしていると、大切なことを切り捨ててしまってき気がしてなりません。今度は働き方の改革という名の下、労働と私生活が対極にあるもののように考える人が増えています。働き甲斐を失った人材は収入のために自分の時間を売ります。なるべく効率的に過ごすことばかりを考えるので、労働は他動的で単調になります。何も生まれない。

 そういう風潮ので中で正気を保つには、感性に意識を向けることが大切でしょう。好きな音楽、絵画、あるいは舞台、スポーツの観戦、そして実践など仕事で使わない頭の使い方をしておく必要を感じます。何を感じとるのか、取れるのかで日常の在り方が変わってきます。

 まずは自身の反省として感受性向上に努めようと考えています。

国語力は小学生で決まるのか

 我々国語の教員の中にも中等教育で国語力を伸ばすことは難しいという人が多くいます。文章を書かせてみると確かに圧倒的な差を感じることがあり、それをセンスの有無で語ることもよくあります。私はこの考えをとりません。

 作家や言語を芸術として使用する職を目指す人には確かに国語力の中にあるセンシティブな面を体得できているか否かは大問題になるはずです。しかし、それ以外の大半の職業や生活の場面での国語力はやはり継続的な練習で追いつくことができるはずです。

 脳の構造的障碍を持つ人を除けば、国語の成績不良者に共通することは、物事を説明する機会が少なかったという点にあります。文章の場合はそれが顕著で、何かを書いて説明しなくても周囲に伝える別の能力があるか、周囲が過剰に察しがよく説明の機会を与えなかったことが原因だと考えます。

 そこで国語力に問題のある生徒には言いたいことを感覚ではなく言葉で言わせたり、書かせたりする機会を意図的に増やす必要があります。それには教員だけではなく、家族の協力も必要です。

 読書をしない人は国語力が伸びないというのはある意味事実ですが、諦める前にやるべきことがあります。決して小学生で国語力は決まらない。虚言に惑わされてはいけません。

助け合い

 少子高齢化による人口減少でこの国の様々な側面での縮小は避けられない事実になっています。持続可能性の基準を現在におけば、その数値は極めて小さなものになってしまいます。しかし、少し先の未来に基準を置けばむしろ理想に近づいているのかもしれません。ただし、物質的な幸福感が別基準に置き換わることが前提になりますが。

 縮小するこれからの社会で欠かせないのが利他の精神です。抜きん出れば豊かになれるという幻想は崩壊しつつあります。地域なり国なり、所属する主体そのものの屋台骨が危ないのですから、その中で一つ図抜けたところでどうしようもない。仮にそれに成功しても他国の進出などで優位な立場は保てない。そんな可能性があります。

 そこで大事なのは助け合うことしかありません。利他の精神なしでは自らの幸福も保障されない。そんな時代に突入しているのです。身近な相手との競争に勝つことが人生の勝者のように育てられてきた私たちに意識改革はできるのか。未来の日本がどのような国になるのかはそこにかかっている気がするのです。