はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

24時間やらなくても

 コンビニエンスストア業界は24時間営業の存続の有無について真剣に考える局面に入っています。人手不足の現状ですべてのコンビニに深夜まで店員を配備させるのはかなり困難な状況です。オーナーが体調を崩しながらもなんとか規約を守っているという店も多く、営業の持続性は極めてむずかしい。

 私は24時間営業などない時代に子供時代を送りました。地方生活の時は8時で近隣の店がすべて閉まるという状況にありました。そういう中で生きてきた世代にとっては24時間営業自体が不自然な営業形態であり、あれば便利だがなくても構わないと考えるのです。全店舗が24時間営業しなくてもいいのではないでしょうか。

 好景気の時代には人々は様々なライフスタイルをもちました。また深夜まで働くことを美徳する文化も日本がはぐくんできたものです。しかし、それらがもはや継続不可能となっている日本社会において24時間営業する意味はさほどないと考えるのです。

実感的学習

 最近思うのは学習は実感が伴わないと頭に入らないということです。効率的だといわれる方法がほとんど役に立たないのは、実感が足りないのです。

 精巧なシミュレーションで練習してもなかなか腕が上がらないのに、実際に現場に立ってみるとすぐに技能が身につくという話は方々から聞きます。物事の習得には単に文字や映像の情報だけではなく、それらが高度に組み合わさった実体験が必要なのでしょう。

 学校で教える身としてこれは大いなる反省材料です。教科書を読ませて理解させられるかのように考えるのは大いなる誤解だったかの知れません。大切なのは実感をもって学習させること。それをどのように演出するのかが教員としての技能なのかもしれません。

アナログの時間

 スマホ依存症の人を軽蔑していたこともありましたが、私自身も最近はかなりの依存の傾向があることを自覚しています。ゲームやSNSはほとんどしないのですが、常にニュースが気になり、またブログを書くネタさがしに躍起になるという為体です。今私にとって貴重なのがアナログの時間です。

 かつては机を離れればネットと断絶できました。携帯電話を持つようになってからはそれがどこまでも付きまとうようになってしまいました。油断するとつい見てしまいます。私にとってネットワークから切れる時間は、食事や睡眠を除けば読書とノートや手帳への記載をする時間です。

 授業の準備などの時間もそれに含めたいのですが、最近はネットで様々な情報を入手することも多く、気がつけばいろいろなサイトにアクセスして泥沼にはまってしまっています。なので、授業ノートなども極力手書きでノートに書きだすようにしています。

 もはや、アナログの時間は意図的に作らなければ創出できない。そんなことに今更気づいて焦り始めているのです。最近多くの本にマインドフルネスの重要性が書かれています。情報過多で他動的になりやすい現代人にとってアナログの時間は貴重なぜいたくなのです。

多数意見が正義なのではない

 他の人と違う言動をすることに対して抵抗感があるのはどこの集団でも変わりありません。自分の意志を通すことは難しく、周囲を見回してそれに合わせることが多くなります。

 度を過ぎると自分とは異なる言動をする他者への寛容性がなくなります。自分がやっていることをしないのはおかしいとか、間違っているとかいいだします。いわゆる同調圧力は個人をしばり、言動に影響します。

 多数意見がつねに正しいのならば問題ないのですが必ずしもそうとは言えない。自分で考えて結論するそんな能力がどうしても必要になるのです。

 こういう感覚は子どものころに経験を通して学んでおく必要があると考えています。多数意見が必ずしも正義ではない、多数決はあくまでも何かを決めるときの手段に過ぎず、絶対的なものではないということを知っておく必要があります。

アイデアのもと

 新しいものはアイデアから生まれます。無から産まれることはありません。既存のものを組み合わせて新しいものを造るしかありません。

 その手本となるものを広く探すことは大切です。そのためには古典など広くの本に触れておく必要があると痛感していますから。

 温故知新を実行する方法を確立しなくてはなりません。

相手を知る努力

 私たちは自分の知らないことに対して知ろうとする努力を怠ることがあります。自分の関心のあることは懸命に心を砕いても、関心がないことは等閑視してしまうのです。でも、本当は相手のことを知らないから起こる誤解があります。

 現代人は用意された様々な情報で物事を知ったかぶりをしてしまう傾向があります。しかし、それは実は誤解である可能性もあります。相手を知る努力を怠ると真実が見えなくなってしまうこともあるのです。

 自分はすべて見えていると思っても実は都合のいいことしか目に入っていないかもしれない。不都合なことに目を向けていない可能性もあるということを知っておく必要があります。

得意を伸ばす

 最近はつくづく得意を伸ばすことの重要性を感じています。何でもそつなくやるのは大切ですが、それが機械に代替されてしまうかもしれない。大切なのは得意分野で突き抜けることなのでしょう。

 すべての教養の基礎作りをするのが私たち教員の役割であることは変わりません。どんなに個性重視の時代であっても社会生活を送るうえで必要な基礎的な知識や技能は身につけさせなくてはならない。いろいろな批判はあっても、リテラシーに関わる基礎知識については教員はこだわるべきです。

 ただ、それでは均質な労働者にしかならない。大切なのはその人の個性を生かした独自性の育成です。そのために中等教育で何ができるのだろうか。難しいテストを作って採点して序列をつけたり、難関大学に入学させた人数を競うだけでは意味があるのだろうか。どうも違う気がするのです。

 場合によっては従来的な成績では測れない。得意分野への集中力や少々の障害にも負けない集中力や継続力を育成した方が、本人のためになり、また将来的には社会のためにもなるのではないだろうか。そのように考えるに至っています。

 具体的にどのように指導するのか。その方策について残念ながらまだ確立した方法論を知り得ていません。とりあえずはコーチングなどの手法でアサーション(assertion)ができる人材を育成することを実践していこうと考えています。まずは自己肯定が得意分野に打ち込める大前提でしょうから。