何事も
何事も果たせぬままの毎日を我が人生といふこともでき
曇天
今朝は再び梅雨らしい曇天に戻りました。五月は少雨であったようですから、ほどよい雨は必要です。雨が降るたびに急速に増えていく線路脇の雑草も、傍目で見る限りは心地よい景を作り出しています。
今日は午後早退して身体のメンテナンスに行きます。相変わらず様々なことが同時展開しています。
高齢者のためのインターフェース
老眼になってみて気づくのは、それまで当たり前のようにできたことができなくなることがあるということです。小さな文字が読みにくいために重要な情報を見逃したり、集中力がきれやすくなるという問題です。これは自分がそうなってみないと分からないことなので、世代間の問題も生じやすくなります。
これまでもよくいわれていることですが、高齢者のためのインターフェースの改良は高齢社会の急務です。働き続けるためにはそのためのサービスも要ります。コンピュータの画面一つでも、それが求められます。アイコンの色や大きさ、さらには音声入力の充実なども課題になるでしょう。
今後のわが国の死活問題として高齢者の非労働率を下げることがあると思います。働けるまで働ける環境を作らなくてはなりません。
国民性を知ること
日本人が日本人について知ることは大切だと思います。私たちがどのような精神的傾向を有するかについては、常に関心を持たれてきました。しかし、それは多分に誇張され実態に反することもあります。
これまでの日本人論は長所もしくは短所が強調されて、その裏にある現実が分かりにくくなる場合がありました。それぞれの考えがあるのはよいことですが、やはり本質を見極める必要があります。
本当に礼儀正しい国民なのか、自分の意見を言おうとしない消極的な国民なのか。常識と言われているものから疑っていくべきでしょう。