はてなの毎日

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不器用ですから

  高倉健さんの訃報に接し、また一つの昭和が終わったと感じた人は多いのではないでしょうか。私自身、高倉さんの出演した作品をすべて見たわけではないので、一面的な物言いしかできませんが、あえて言うのなら理想的男性像の終焉と言えるのかもしれません。
  不器用ですから、というフレーズは当時の流行語であっただけでなく、そうあるべき姿としてのモデルを呈示しました。つまり、男は多くを語らずとも誠意をもってことに当たるべきであり、寡黙であることは甲斐性であるという価値観です。これは一人の役者のあり方を超越した生き方の問題になりました。
  もちろん、そうした生き方の前提として多大なる自己犠牲と無私の奉仕、あるいは理不尽な運命の受容といった困難があります。報われることがないかもしれない利他的行為ができるのかという難問が立ちはだかるのです。
  現実社会ではそこまでのことはなかなかできません。我々は見返りなき行動に対しては腰が重くなるものです。加えて、現代社会の自己中心主義的傾向が高倉健的生き方を一層非現実の彼方に押しやってしまいました。
  ある映画評論家が言うには最近の映画には高倉健を生かせる作品がなかったととか。役者としての存在感は衰えることなく、むしろそれゆえに出演機会が減ってしまったと言えるのかもしれません。
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