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おこぼれに期待はしない

 経済学の用語であるトリクルダウン(trickle-down)が話題になっています。寡聞にして昨年末ようやく知った知識です。富裕層に利益をはかれば、その影響が社会全体に及んで結果的に裕福になるという極めて楽天的な理論であり、レーガン元大統領のおこなったレーガノミックスはその実例と言われています。アベノミクスはこれに倣ったもので、実際為替操作の恩恵は大企業や一部の投資家に限られています。

 一部の経済学者によればトリクルダウンの効果は徐々に起きるものであり、すでに賃金の上昇などに具現化しているというのですがどうもその実感はありません。むしろ、格差を広げる政策のもと着実に貧困層が形成されつつある実感があります。ホームレスにいたらずとも極めて低賃金かつ質素な生活を強いられている人がどんどん増えていっている気がするのです。

 トリクルダウンを信じる人はそれでもいつかは国レベルで豊かになると言い続けます。ところが、昨年末、経済協力開発機構OECD)の関係者からトリクルダウン的な経済効果は存在せず、むしろ格差が経済発展を阻害するとの見解を発表したことから、話は面倒になってきました。どうもおこぼれは期待できないというのが事実のようです。

 経済学の知識がない私がこれ以上の無知を晒すことは止そうと思います。ただ、この理論の根本にある個人の利益と社会の利益の相関という考え方に大きな疑問を持ってしまうのです。特定の個人が豊かになると、その人は他人のために献身的に金を使うことがあるだろうか。それを期待することができるだろうかと。

 あらまほしき姿として、富者が貧者のために貢献するという理想を幻想します。それはあくまでそうであってほしいという姿であり、そうある実情ではありません。かつての共同体意識がつよい時代ならばともかく、今は個人の利益追求こそが善であるという時代であり、公共の福祉は努力目標に過ぎません。まして経済的な成功者の多くは利己主義の勝ち組である訳ですからほとんど期待するのが無理というものなのでしょう。いろいろな意味からおこぼれには期待ができないのです。

 他人のことを思いやること、そして長期的に見れば他を利することが己に帰ってくることなど、古人がことわざにしたようなものの考え方が見直されない限り、この閉塞的な状況は抜け出せないのではないでしょうか。それを行えるのは家庭の力であり、教育の力です。場合に寄っては芸術の方面かもしれません。誰かが始めなくては手遅れになる気がしてなりません。