はてなの毎日

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公共性の確保

 NHKスクランブル放送にしようという考えを提示した政党が話題になっていますが、放送の公共性を考えるのならば絶対にやるべきではありません。

 メディアを動かしているのはスポンサーです。その利益のために放送はなされています。民放はCMを流すことによって収入を得ています。その利益で番組を作り、番組の魅力を上げることで新たなスポンサーを獲得します。だから、時流に合った面白い番組を作ることができる一方で、スポンサーの意向に合わない内容は避けることになります。我が国の言説が広告代理店によって大きく影響されているとの見方はその意味ではあたっているでしょう。

 NHKは公共放送という立場で、国営ではありません。時の政治権力とは一線を画すという立場にあるのでしょう。そのため、特定の利益集団のために放送をすることは原則的に禁止されています。ただ、実際には完全に中立な報道などありえず、時には偏向と論じられることもあります。でも例えば災害時の放送や、収益性の低い地域へのサービス、高齢者や外国人などの社会弱者への番組提供など、コマーシャリズムにさらされている民放各局にはできない特権があります。このブログでも東日本大震災直後の報道を比較したことがありますが、その差は歴然としていました。

 金を払った人だけに見せればいいという発想はこうした弱者切り捨てを間接的に言っています。ニュースや朝ドラ、紅白だけは無料でなどと言っている人もいますが、インターネットでただ乗りに慣れてしまっているのでしょう。

 ニュースはネットでみるからよいという人もいます。私はネットニュースが自分用にカスタマイズされてしまうのも問題だと感じています。自分にとって見たくないニュースも提示してくれるのが公共性の前提です。

 受信料が高いという批判、公共性を逸脱した番組が増えているという指摘などは真摯に検討していくべきでしょう。ただ、気に食わないからなくしてしまえというのは公共性を確保することを拒むものと考えられます。現代人が蓄積しつつある不機嫌さと、近視眼的世界観との一つの現れといえると考えられます。