悲観論を打ち破りたい
少子高齢社会を刻々と深刻化している我が国には未来はないのか。今日の様々な予測ではかなり厳しい現実が待ち受けています。それは小手先の何かを変えてもどうしようもないくらいの程度になっています。それが隕石の衝突とか、地球の温暖化とかという発生の可能性が少ないか緩やかなものとは異なり、確実にそして少しずつ堆積していくのですから困ったものです。
そして何よりもやっかいなのが自分がその高齢者になることが確定していることです。このままだと自分が若い世代の負担になってしまうという何とも言えない苦い味わいが心をざらつかせるのです。
まずは自立できる見通しを立てなくてはならない。公共福祉のお世話になる期限をできるだけ遅くすること。そして、生産人口であり続けることが何よりも大切です。そのためには何ができるでしょうか。10年ほど前ならば考えられなかった肉体的変化に私は直面しています。疲労のしやすさ、頭脳の回転の低下、何よりも集中力の減退はいたい。また筋肉の衰えがもたらす様々な問題もあります。いつまでも現役で働くという理想論が、心身の衰えという現実に直面して揺らいでいるのは事実です。
長く現役でいるためには年令に応じた戦い方があるということにいまようやく気づいています。10年前と同じことがいまできなくなっていることからして、10年後にいまと同じことができる保証はまったくありません。でも、それぞれの年齢層でできることはきっとあるはず。それをいま積極的に見つけ、すぐに試していかなくてはならないと思っているのです。
高齢社会は日本の終焉という悲観論を打ち破りたい。その運動はまず己から実現していくしかありません。
まるで梅雨
日本を遠巻きにする台風の影響でこのところ梅雨のような空が続いています。今朝も雲に覆われており、この時期の趣とは全く異なります。
過去に同様の進路をとった台風との比較もなされ始めました。今回は列島に達しても速度の上がり方が遅く、長い期間に被害が出ることが懸念されています。
ニュースでは既に暴風に晒されている映像も報じられています。特に九州地方はまだ先の水害の手当てもできていないので心配な状態だといいます。どうかこれ以上の災害が起きないように祈るばかりです。
車検
かなり古い車に乗り続けている結果、車検の時にはいろいろな項目を付け足されます。あれこれつけているうちに立派なパソコンが買えるくらいの値段になってしまいました。そのお陰でこれまで故障することなく過ごしてきたのですから仕方ありません。
ただ、もうここまでくると意地もあります。これで最後の車検になると思いますが。
咄嗟の機転
演劇部の練習にエチュードと呼ばれる即興劇があります。予めだいたいの状況設定をしておき、後は演じる者の思うままに演じる即興劇です。演劇の練習としては複数の役者が話し合いなく始めることが多く、観客はもちろん、演じ手たちもどのような結末になるか分かりません。
話を展開するためには他の役者の台詞や所作をその場で解釈して、その反応を形にしなくてはなりません。その反応も次への更なる展開のために閉じられた世界に導かないよう注意していきます。阿吽の呼吸が試されるとともに、どうしても生じてしまう齟齬を何とか埋めようとする様の滑稽さも見所です。
即興劇は演劇の練習としては一般的で、高校生の演劇部員ならば結構簡単にやり遂げてしまいます。お笑いのコントの模倣も多いのですが、なかには独特の味を出してくれる人もいます。咄嗟の機転を鍛えるには演劇以外にも使えそうです。