はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

暑さ寒さも

 寒暖の境目は彼岸にあるというのが通念ですが、今年の場合はそれが今日のようです。最高気温が28度になるとの予報なので上着の下に半袖シャツを着ることにしました。

 いろいろあってあまり眠れなかった昨夜を越えた今日はちょっと辛い一日になるかも知れません。

カタカナ語に注意

 国政選挙の中に飛び交うカタカナ語は一見新鮮に見えます。ただ、その真価は言葉の珍しさとは無関係に考えるべきです。

 アベノミクスなる不思議な言葉で政権を維持する自民党とファースト、アウフヘーベン、ワイズスペンディングなる語を連発する野党の演説、いずれも言葉を日本語に置き換えるとあまり大した考えでもありません。それらが哲学や経済学に根を持っているにしても、実際の用法はさほど奥行きはなさそうなのです。

 膠着した現状打開策を誰もが模索している中で、新鮮な響きを持つ語が目立ってしまう。そんな昨今のあり方を私たちは冷静に把握する必要があります。

逆算

 こういう年齢になってくると人生の締めくくりを考え出します。人生の終末など誰も知ることはできません。いくら健康に注意していてもそれが明日であるかもしれず、極端なことを言えば、このブログを書き終わった直後かもしれないです。

 自分の終末から今はどのくらい前だろうか。それは推測でしかすぎません。それがどんなに長くてももう人の寿命分はないことは確かです。なぜなら私はその半分以上を生きてしまっているのですから。仮に今後飛躍的に延命医療が発達してもせいぜい数十年延びるくらいです。そしてその可能性は少ない。

 健康を保っても天災によって命を落とすかもしれない。あるいは某国のミサイル攻撃の犠牲になるも知れないし、テロに巻き込まれるかもしれない。そんな大きなことではなく、交通事故とかあるいは自分の不注意による事故で落命する可能性も考えられます。

 そのように考えてくると、人生の逆算はおよそ無意味で空しい作業になります。もちろん家族に残す遺産とか、借金を残さないようにするということくらいは考えておきますが。

 数理的な考え方ができない人間とはこういうことなのでしょうか。私はきっと今もこれからも場当たり的に生きていくしかないのでしょう。

小さな成功

 成功体験をどれだけ積ませるかが人生の展開上大切なことだといわれています。子どもにとってはそれは不可欠なことであり、自己肯定感を形成するきっかけです。

 同じことは大人にも言えるようです。平凡な毎日を決まった目標の繰り返しだけに生きているとどうしても膠着状態になり、自分の位置がどんどんわからなくなります。また、実際以上に自分を卑下したり、無に近い存在などと思い出します。

 小さな成功は何から得ればいいのか。それがギャンブルなどの他力本願的なものであれば意味がありません。自分の意志なり行動なりが結果に影響を与えたと実感できるものが必要です。ペットを飼うとか花や野菜を育てるといったことは失敗率が少ない方法です。趣味に打ち込むこともいいかもしれない。

 そういう何かを見つけることができたら幸せを感じることができるのでしょう。小さな成功の種はここかしこにありますが、自分に合ったそれを見つけるのは実はさほど簡単ではない。でも、あえてそれを探すことには大きな意味があるのです。

一雨ごとに

 何度か大雨のアラームが届きましたが、さしたる被害はないようです。この時期の雨の降り方としてはやや極端な気がします。それでも一雨ごとに秋は深まり、木々の葉も色づいていくのでしょう。そのための雨と思えば意味あるものに思えてきます。