はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

高輪ゲートウェイ

 山手線の新駅の名前が高輪ゲートウェイとなったと発表されました。おそらくオリンピック終了後は単に高輪駅と呼ばれることになると私は推測します。

 駅名は公募で選ぶとJR東日本は発表していましたが、応募数ではかなり低い候補が採用されたそうです。玄関口を意味するゲートウェイ羽田空港へ直結する東京への入口ということらしい。しかし、それをゲートウェイにするかしないかは利用者が決めて行くものであり、駅名に示す必要はないと思うのです。

 ゲートウェイという施設があるのならばいざ知らず、このネーミングは駅の利用客にその方法を限定するかなり窮屈なものです。ゲートウェイで買い物や食事をしようとは思えない。

 おそらく駅名に関わらず、将来は単に高輪駅と呼ばれることになりそうな気がしています。

作られる体験

 VRが疑似体験をするのに貢献するという本を読んでいます。書籍や映像で情報に接するより、3D体験をした方が影響力が大きく、効果的な疑似体験ができるのだそうです。

 道徳教育や鬱病対策などの場面では、VRが効果的な手段として機能することが期待されているとのことです。

 体験を創作できるのなら、悪意ある人格操作も可能なはずです。それを若年層に行えば、人生全般を操ることも可能でしょう。SF的幻想が意外にも早く実現してしまうのかもしれません。

3D酔い

 何かの付録でもらったダンボール製の3Dゴーグルを使ってYouTubeの映像を見てみました。海底のダイバーの視点や、崖を登る人の視点など迫力がある映像です。

 しかし、どうも思い通りの画面に切り替わらないせいなのか、遠くを見ているはずなのに実は常に同じ近さのものを見続けているせいなのか分かりませんが、すぐに気分が悪くなってしまいました。

 いわゆる3D酔いをするのは、映像への没入感の裏返しともいえます。おそらく酔わないほどの操作性が確保されたとき、今度は映像世界を事実と誤認する別の意味の酔いが発生するのだと実感しました。

品質保証もできなければ

 最近数々の不正が見つかっている日本の製造業の現状には憂慮せざるを得ません。

 ものづくりは日本の基幹産業としてこの国の経済を支えてきました。価格ではすでに他国との競争に完全に敗北しているようですが、品質面においては信用性が高いのが我が国の製造業に関する一般的な評価でした。ところが、最近様々な分野で、品質を詐称したり、隠蔽したりする状況が続いています。経済的な成長が鈍化したことによる弊害なのでしょうか。恐らく、総体的には高い水準のものづくりは続いているはずなのですが、それを裏切るニュースが続いています。このままでは日本製品として価値、存在理由すら脅かされてしまいます。

 電化製品の量販店に行ってみれば「日本製」があたかも高級ブランドのように扱われている感があります。少々高くても日本製ならば安心だという思いは私にもあります。その安心感が揺らげば、場合によっては半額以下でほぼ同じ機能が手に入る新興国の製品を買ってしまうのは仕方がありません。最近は基本的性能が日本製よりいいものも分野によっては出てきています。

 私は国産品の購入に関してはいまのところ保守的です。少々高くてもなるべくMade in Japanを選んでいます。そのもはや幻想めいた信用を崩してほしくはない。不正発覚のたびに気持ちの揺らぎを感じるのです。

牛久のイルミネーション

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 どこでも見られるようになったイルミネーションですが、町によって少しずつ特徴があります。

 牛久駅前のイルミネーションは広い敷地に光が広がっています。写真を撮っていく人が多くいました。

師走始まる

 今日から12月が始まります。平成最後の師走です。人生の季節も確実に進んでいることを実感する毎日です。特に冬はそれを深く実感します。

 それぞれの季節にはそれぞれの美しさがあるように、せめて冬に向かう人生にもそれなりの美学を持っていたいなどと考えています。

 12月は慌ただしいですが、好きな月の一つです。

だまし絵

 エッシャーのいわゆるだまし絵を見ると不思議な気持ちになります。ただ、それはやはり自分とは無関係の絵の世界であり、視線をずらせば親しんでいる現実世界があります。

 ところがVRを見るとその世界に没入してしまうような錯覚が起きます。不気味なほどに繰り広げられる仮想現実は目を反らしてもまだそこにあります。もちろん電源を切れば直ちに消えてしまう幻影なのですが、それがそうは思えなくなってしまう没入感や耽溺が生じます。

 現実というものの確かさを強く実感することが難しくなっている中で、ますますそれが希薄になってしまうような気がしてなりません。