はてなの毎日

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現代文の古典

 センター試験「国語」の第1問は小林秀雄の文章から主題されていました。小林秀雄といえば私が受験生であったころにすでに国語の出題文の「常連」であり、その知的飛躍に富んだ独創的な文体に知識不足の高校生は面食らいました。友人に小林秀雄の文章は奥が深いね、などといわれると、うなずいておきながらも実はよく分かっていなかったりしたものです。これは今でもそんなに変わらないかもしれません。はるかに高い教養の違いを見せつけられた上で、諸君には分からないかもしれないがこれは実にいいもんなんだよ、と言われているような文章と感じたものです。

 今回の出題文は「鍔」をテーマにしたもので、1962年に発表された文章でした。そもそも鍔なるものがなになのかは受験生には本文中から読解することも難しいと出題者も考えたようで、図解の注まで付されています。

 文体自体も独特で、例えば冒頭の段落などは問題提起なのか独り言なのかよく分からない書き様です。生徒が同じように書いた文章を提出したらためらいなく朱を入れてしまいそうです。また使われている言葉も古風で、21箇所に注がつけられています。これでも生徒にとってみれば十分ではなかったのではないでしょうか。例えば「拵」は多くの受験生を悩ませたはずです。

 この文章の趣旨である、乱世の凶器のうちにも文化は宿るという内容はグローバル化に振り回されている日本の現状に対する批判としても読みことができるものです。ただセンター試験の問題としてはやや難しかったかもしれません。

 もっとも入試が求めているのは文章の熟読玩味ではなく、あくまで設問に答えることですから、その意味ではそれほど問題の難易度は高くありません。文脈に沿って筆者の論旨をたどれば選択肢は選べます。

 注目したのは文章の表現の特徴を選ばせる「問六」です。常識的見解に対して「意味がない」「面白くない」と切り捨てるのは小林秀雄の文章のある意味常套手段であり、特徴を捉えた出題でしょう。実は自分が高校生の時はこの言い方が妙に気になって、それが親しみにくい原因であったのかと再認識したのです。

 小林秀雄自身の人柄は大変魅力的な方であったらしく、周辺の方々が残した人物像もさまざまで興味深いものがあります。いずれ読み直してみたいと思っています。