はてなの毎日

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教養のない教育は

 先日、年配の教員から声をかけられました。

「若手の先生は確かに教え方はうまくなっているし、その方法について真剣に考えているようだ。その点は感心するんだけどね。」

 仰りたいのはその後だったようです。

「ちょっと話を聞いてみるとね。肝心なことを知らないんだよ。それってこの話題の基本的な知識でしょって思うことが欠けているんだ。確かにそれを知らなくたって授業は成立するよ。高校生が知る必要もないし、試験にもでないはず・・・でもね、それを知らずに教えるのは何か違うんじゃないかな」

 教員の専門的教養の深さに関する疑問だったのです。確かに知識よりも思考を重視する教育の流れの中で、ややもすると教育は方法論の方面に流れ、背景となる学問の蓄積を軽んじる傾向が無きにしもあらずです。中等教育の教員は余計なことは知らなくてもいい、ただテストで点が取れる生徒を育てればいいのだという風潮が当たり前になっているという危惧がこの先輩教員にはあったのでしょう。

 深い教養、しかも諸説あって不確定な学説などを紹介し、その議論の中に中高生を導くのは実際問題として難しいです。わずかな時間のなかで結論を出し、考査で成績をつけるスタイルにはまったく一致しません。教員がそれだけの準備をする余裕も能力もないままに教養教育をするのは無謀でしょう。

 しかし、初めから教育は思考の方法論として割り切るのはやはり間違いではないでしょうか。抽象的情緒的な表現ですが、学問の香りがしない勉強は面白くはない。教員がまずはその問題についての重要性を「身を持って」示せることが思考のスイッチを入れるのに効果的なのではないでしょうか。

 実は私自身も途中から中等教育に携わった経歴があり、当初はその中途半端で無色透明な教え方には強い違和感を感じていました。しかし、いまの教育の流れでは考査や入試問題が解ければよいのであり、余計な話はしなくてもいいという現実に日々直面していくうちにだんだんその方面に染まっていったのです。

 いま、新しい教育観のもとに教え方に対する反省が行われています。入試の方法も変わるようです。それが教養なき要領の良さを追求する方面にゆかないように願っています。中等教育はその線に沿ってまた動いていくことになるのですから。