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記憶の長期化のために

 範囲を決めて小テストを課すと、驚くべきほど細かな点まで覚えてきて満点をとる生徒がいます。さすがに脳細胞の数が違うと感心してしまうのですが、その生徒が数週間後に行われる定期考査の時に同じ問題を全く答えられないのです。これにも別の驚きがあります。おそらく、短期的に記憶する力とそれを長期的に貯蔵する能力は別物であり、多くの場合それは連動しません。かく言う私自身も英語や韓国語の自習をやっても一向に身につかず、いつまでたっても話せるようにはなりません。

 短期記憶を長期記憶にするためにはもうひとつ工夫が必要なようです。そこで私の中で長期記憶になっている要素を探してみます。例えばギターのコードの押さえ方は数多くあるのにも関わらず代表的なものはほとんど覚えています。マイナー、セブンス、ナインス、サスペンデッドなどの様々な種類を結構覚えているのです。おそらくそれは演奏する際に実際に音が出るからで、間違っていればその結果が耳で聞こえるからなのでしょう。弾き語りをしようとしてフォームを間違え、合わない和音になればおかしいと感じてすぐに修正する。その都度覚えなおしていく、そのうちにそれが長期記憶になっていくのです。

 自動車の運転もそうです。これは失敗すると事故を起こす。事故を起こせば自分だけでなく周囲の人も巻き込んでしまう。場合によっては生死に関わる。そういう緊張感の元、アクセルやブレーキのかけ方、ミラーの確認方法などを手順として覚えます。私は週に1回くらいしか車に乗りませんが、運転の仕方を忘れることはありません。

 百人一首の歌とか、古典文法(学校で教える範囲の)とか、藤原道長あたりの摂関家の系図とか、そういったものが長期記憶になっているのは国語の教員だからで定期的に教える必要性があり、間違ってはいけないと何度も見直すからで、これは職業上の要請です。

 すると、長期記憶にするためには記憶したことに対する反応がすぐにあることが必要であり、それが何らかの身体性を帯びていることや、それができないと不利益が生じるという緊張感があることが必要ということになります。私の韓国語が一向に上達しないのは結局話せなくても何ら困らないという事実があり、その学習がもっぱら字面を負うこと以上になっていないからなのでしょう。

 私は生徒に古典の授業をし、その効率を上げることを当面の課題としていてます。生徒の立場からすれば、古典は試験や入試に出題されるということを除けば、「できなくても構わない」知識であると思います。(私自身は決してそう思っていません。例えば古文や漢文を読む力は現代の言語表現力の向上に直結すると思います。)そういう、生徒諸君に古典の学習内容を長期記憶化するためには、覚えたことがすぐに活かせたという経験をさせることや、そこに身体表現や何らかの行動的刺激を加える必要があるように感じているのです。

 例えば「あはれ」と「をかし」の語義の違いをいくら言葉で説明しても生徒の内的経験と触れ合わない限り表面的な理解しかできない。「趣がある」という曖昧な口語訳でごまかしてわかったふりをしてしまう。これは教員側もそうです。だから「あさまし」「むつかし」「かたはらいたし」などの心情語の把握に苦労することになるのです。

 おそらく、こうした言葉は状況とともに記憶するのが良いのだと思います。「かたはらいたし」という言葉を使う状況を生徒に想像させ、できれば寸劇風に一度演じさせるといい。胡乱な戯言のように思われるかもしれませんが、もしかしたら効果が上がるのではないかと真剣に考えているのです。人前で演じるという緊張感とセリフとして話すという身体表現が記憶の長期化への刺激になるのではないでしょうか。コント式記憶法とでもいうのでしょうか。

 新学期からこれをしばらく試してみて成果がありましたら報告してみたいと思います。