はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

プログラム

 コンピュータによるプログラミングが学校教育の場にも推奨されています。かつては一部の専門家の独占物だった感がありましたが、小学生がその入口に立つ時代になっているのです。

 私はエクセルのマクロを書くことに関心を持ったこともありますが、せいぜい関数を書いて計算するぐらいのことで満足しています。プログラミングというにはほど遠い。ただ言えるのは自分の行っていることを分析し、いくつかの手順に分けて、それをコンピュータに代替させるのがプログラミングなのだという実感が得られたのは収穫です。

 恐らく中等教育までのプログラミングはこの作業でよいのではないのかと考えます。私のような国語教師は思考のプログラミングを日本語で行う作業手順を教えているとも言えます。ただし計算するのは自分の頭脳であり、コンピュータにはない価値観という別の変数が絡んでいるのです。コンピュータでは人生は語れませんが、毎日の思考の手順を簡素化して把握する役は果たせます。

眼鏡復帰

 かなり長い間、コンタクトレンズを使用してきましたが今日から眼鏡に戻ることにしました。スポーツをするとき以外は眼鏡に戻します。

 老眼が進み近くが見えにくいということもありますが、それ以上に何らかの変革をすることが必要と考えているからです。まずは形からです。

 先日、新しい眼鏡を作りました。検眼の結果はほとんど度が変わらないということ。眼鏡店の店員のすすめでわざと度を低くしました。老眼があるとこの方がいいのだとか。眼鏡でみるとほんの少しものが小さく見える気がすることにはすぐになれると思います。

 形の次は中身の変革です。

統一地方選挙

 統一地方選の今日、私の居住地域はその対象ではないので穏やかな朝です。職場のある地域は知事、県議、市議の選挙が同時に行われており、駅近くには大きなポスター掲示板が立てられていました。

 同時に選挙を行うことは市民にとっては手間が少なくていいのですが、市の問題と県の問題は微妙に違うはずなのに、それを一緒にしていいのかとも考えます。選挙の争点が明確化されないでイメージ戦に陥っているのは否めません。

 もっと分かりやすく争点をあげて議論の輪を広げてもいいのではないか。そのためには無理に同じ日に選挙をしなくてもいいのではないか。などと考えているのです。

 もっとも、選挙の回数が増えれば投票に行く人の数は増えるとは言えず、むしろ減ってしまうかもしれないので何とも言えません。投票しなくても世の中は変わらないという無力感が政治の停滞を生み出しているのは紛れもない事実です。

春らしく

 昨日からは気温も上がり春の陽気になりました。コートは片付けることになります。春眠暁を覚えずとはいいますが、気温変動が激しいこの頃は昼下がりでも眠くなります。

 やるべきことは沢山あっても睡魔が来たりて笛を吹く。おまけに花粉症対策薬の副作用が追い打ちをかける。何とも悩ましい時節です。

万葉由来は日本独自という意味ではない

 元号の由来が万葉集であると発表されたことから、日本の右傾化を懸念する海外の声や国粋主義的な発言があると報じられています。ただそれはごく一部の意見であり、そもそも大きな勘違いの産物です。

 元号という制度自体が古代中国の制度を導入したものであり、これは東アジア文化圏の一員であったことの痕跡です。また典拠等される万葉集の一節は題詞の部分の漢文にあり、もしかしたら中国語で読んでいた可能性もある部分です。万葉時代は非常に国際的な時代風潮があったのです。我が国の歴史が濃淡はあっても常に外国文化との交流の中で展開してきたことは、多くの国民の共通理解するところです。

 元号の存在は国粋主義どころか、逆に我が国が自国だけでは存在し得ないことを実感せしめるものと言えます。残念ながらかってこの地域で共有されていた文化が日本以外の国で廃れてしまったことが誤解の原因なのでしょう。

血圧

 血圧が高い状況が続いていることに少しずつ危機感を覚えるようになっています。生活習慣に原因があるのは確かなので自ら変えていくしかない。分かっているのですが抜け出せない何かがあります。

 やるべきことをやっておかなくては後悔します。また、他人に面倒をかけたくない。少しではなく真剣に考えなくてはなりません。

ジオシティーズ、Google+終了

 先日、インターネットサービスのジオシティーズGoogle+が終了しました。いずれもネット上ではある程度の存在価値があり、利用者も多かったのに何かが足りなかったためにトップになりえず撤退することになりました。

 ジオシティーズはホームページ作成が個人的なものとなった時代の公表の場所として私も利用しました。ヘッダーに広告が入ることを我慢すれば、簡単なページを作ることができました。ジャンル別にカテゴリー分類をしようとしたところも当初はユニークでした。同様のサービスが濫立し、高度なオンラインエディタに対応しなかったことなどで支持者を減らしていったものと考えられます。

 Google+はTwitterFacebookの中間のようなサービスでした。つながりを一方的にカテゴリー分類できるなどのオリジナルなサービスもありました。アイドルグループのページが開かれるなどの個性もありましたがそれ以上のものはなく、常連コメンテーターの品がよろしくないこともあり、巨大情報企業のサービスにもかかわらず停止に至りました。

 無料サービスゆえに停止を阻止することはできません。ただ、始めた以上は責任をもって続けて欲しかったと思います。これからもこのような停止や廃止がいくつもあるのでしょうが。