末の松山
百人一首の歌、
ちぎりきな
かたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは
を久しぶりに授業で扱ったのですが、以前とは違う読みをしている自分に気づくのです。
この歌は典拠である後拾遺集の詞書によれば、心離れをした女に送った歌で、ある男のために作者清原元輔が代作したとあります。お互いに感涙を流しながら、末の松山を波が越えることがないように二人の愛は絶えることはないねと誓いあったことを確認しようとする男の未練溢れる思いの発露なのです。
この歌は古今集に収められている、
君をおきてあだし心を我が持たば
末の松山波も越えなむ
を本歌とする作品で、末の松山は絶対に波が越えないものとして、つまり絶対の真理として扱われているのです。
この末の松山は実は宮城県の海岸に設けられた防波林のことです。三重の松林のもっとも内側の守りなのです。いわゆる歌枕として都人たちはこの地名にまつわるエピソードを自作の歌に活かしたのでしょう。
2011年を経験した私たちにとっては絶対の真理という考え自体が揺らいでいます。越えるはずのない林や堤防を越える波があることを思いしらされてしまいました。その中で例えば愛をどのように貫くのかは大きな課題なのです。