はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

すべてひらがなだとしたら

  電車の中で書いています。隣の男性がポータブルゲーム機でRPGに懸命になっています。視覚に入るので少しだけ覗き見してしまいました。
  表示される文字はひらがなとカタカナ、数字とアルファベットだけで漢字はありません。かつては解像度の関係でこうなったのだと思いますが、今は小さな画面でも崩れない表示にすることは可能なはずです。かなと数字だけの表示は一部のゲームの世界のスタイルと言っていいのでしょう。私はむしろ漢字を使わずに完結できることに興味を持ったのです。

  にほんごはおんいんのかずがすくないので、どうおんいぎごがはっせいしやすいというとくちょうがあります。おなじおとをもつことばはぜんごのぶんみゃくからそのいみをはんだんするしかなくなります。
  こうちゃくごであるにほんごはたんごとたんごのきれめもわかりにくく、かんじをつかってしかくてきにことばのきれめをあらわしています。かなだけにするとこれがさようしなくなります。

  そこで、たんご を わかちがきする ほうほう が かんがえ られ ます。こうすると すこし わかりやすく なり ます。ただし、ふぞくご が れんぞくする ふぶん に かんし て は、わける こと に よっ て かえって わかりにくく なり ます。
  かんこくごの ように、ぶんせつを ひとくぎりとして かく ほうほうも ありますが、そのほうほうろんは とういつするのが むずかしいと おもいます。

  仮名ばかりの文章を読む時に私たちが脳裏で行っているのは、漢字を頼りとした意味変換です。依存すべき漢字の知識が複雑な言葉の世界の理解を支えていることが分かります。日本語をすべて仮名表記に変えることは出来たとしても、漢字の知識が消えてしまえば非常に不便な言語になってしまう。それがこの国の言葉の宿命であると改めて感じるのでした。