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教科書に載っている古典文学(2) 奥の細道・平泉

 今回は松尾芭蕉奥の細道から「平泉」の段を<超訳>してみます。俳文と呼ばれる詩的な文体はそのまま現代語にすることを拒みます。今回はかなりの意訳を施して、なるべく原文の世界を写し取るようにしてみました。

 

 藤原三代の栄華はあたかも一眠りの間の夢のようで、平泉の館の南大門は約4km手前にあった。秀衡の居館の跡はすでに田野と変わり果て、金鶏山という築山だけが形を残している。私どもはまず高館に登って眺望すると、北上川は南部地方より流れる大河であると知る。衣川は和泉が城をめぐって、高館の麓でこの大河に流れ込む。泰衡たちの旧跡は、衣が関を隔てて南部口を固めて、蝦夷の侵入を防ぐ役目を果たしたものであると見た。それにしてもかの義経の選りすぐりの忠臣この城に立てこもり、功名をはせたもののそのままいまは草むらと成り果てている。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」という杜甫の古詩を思い出し、旅の笠を敷いて、しばしそのまま時が経つのも忘れて涙を流したのである。

  夏草や強者どもが夢の跡

  卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曽良

 

 かねてから有名であった中尊寺の経堂と光堂が開帳されている。経堂は藤原三代の武将の像を残しており、光堂は三代の棺を納めて、阿弥陀三尊の仏像を安置している。仏法の七種の宝は散逸し、珠で飾られていた扉は風で破れ、金の柱も霜雪に朽ちて、すでにこのまま頽廃して空虚な草むらとでもなるはずのものを、建物の四面にできた鞘堂が新たに取り囲み、屋根で覆って風雨を防いでいる。これでしばらくは往古を偲ぶ形見にはなっているのだ。

  五月雨の降り残してや光堂

 

 この紀行文も結局のところ鞘堂同様に古の宝をいまに残す堅固な防御壁になっていることを芭蕉に伝えられたらと思うのです。