はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

幻聴

 時々、地震発生時の警戒音が幻聴として聞こえてくることがあります。似たような音色や、メロディに反応することもあるのですが、そういうものがなくても身体が反応してしまうことがあります。

 何とも不快な幻聴なのですが、よく考えるならば適度な緊張感は保てているということになります。いつ大地震が発生してもおかしくないとは繰り返し聞かされています。

 ただ、備えはどうかといえば、食料に関しては備蓄を切らしていますし、様々な安全対策もできていません。やるべきことをせずにただ恐がるだけでは意味がありません。少しずつ準備を進めなくては。たとえそれが無駄になったとしても。

試験に出ませんけど

 ものを考えさせる授業において試験に出ないことを盛り込むのは重要だと考えます。私たちは効率を重視しすぎて答えや問題の解き方ばかりを教え込もうとする。基本的にはそれは教えなくてはならないことなのですがそればかりではうまくいかないようです。学ぶ内容を厚くするよりも、学び方の習得に力点を置かなくてはなりません。

 ある事実を教えるとき、その背景にある様々なことを知らなければその知識は絶海の孤島のようなものになります。その島を知っていればそれなりの評価は得られますが、その島が自分の世界とどのようなつながりを持っているのかが分からなければ二度と訪れることがない秘境になってしまいます。たいていの知識は何らかの形で今の生活に結びつき、時にそれに大きな影響を与えています。それを知るためには最短距離から外れた場所の風景も伝えてあげなくてはなりません。

 その意味において試験には出ない様々な情報を、時には教える側の個人的な意見や感想も交えていかなくてはならないでしょう。いつでも訪れることができる場所にその知識をするためには少々遠回りの道案内も必要だと思うのです。

分かりやすさは不親切

 分かりやすく説明することは私たち教員にとっては大切な能力の一つです。難しいことを分かりやすく述べるのは重要です。ただ分かりやすさを追求し過ぎるとかえって教育的にはよくないとも感じます。

 私たちは端末で検索すれば答えが得られると考えてしまう傾向にあります。検索のシステムは年々向上していますし、関連情報も次々にあげてくれる。それをあたかも思考したかのように考えてしまうのですが、実は何も考えていなかったということが多くあります。

 分かりやすく完璧(に見える)情報を提供することもこうした思考停止を招きやすい。そうなっていることを丸呑みするのではなく、なぜそうなのかを考える方が遥かに有意義なのです。

 そこで私はなんだかよくわからないけれども面白そうだという度合いの教え方を目指そうと考えています。考えるきっかけをどれだけ作れるかが私の仕事なのですから。

ノート

 最近はいろいろなメモを一つのノートで済ますようにしています。すぐに必要ではなくなる連絡事項も講演会のメモもそのまま書くようにしました。私のような同時多発的に様々な仕事をしている者にとっては分類は必ずしも効率的ではなく、時系列で振り返ることができた方が結果的に役に立つのです。

 いろいろな記号にこったこともありますが長続きしません。最低限の約束として日付や場所を必ず書いてから始めることとしています。それが栞代わりになるわけです。

 大切なことはパソコンを開いて同期しているOneNoteというメモソフトに入れます。しかし、そこまでしなくてはならないものは限られており、たいていは紙のノートで十分です。私のことですからいつまで続くものかあやしいですが。

やる気

 やる気を出すためには何が必要なのかを考えています。いろいろな答えは耳にしますし、そのような本もかなり読んできました。それぞれがいいと思いながらも実戦できていない。

 やる気を出す方法も出させる方法も万人に共通するものはなく、個々で異なるのかもしれません。自分に合ったやり方で己にそして他者に働きかけることが必要なのでしょう。

狂気から守るには

 昨日起きた通り魔的無差別殺人の原因は何かは今後様々に論じられることでしょう。被害者の皆さんには心よりご冥福をお祈りいたします。罪のない予告もないしかも弱者を襲う卑劣な行動は許せません。強くやり場のない憤りを感じます。容疑者の普段の素行に問題があったということも報じられていますが、その真偽を含めて第三者にはなかなか分かりにくい。今回は加害者の自殺という結末もあって謎のまま終焉してしまう可能性もあります。

 狂気から身を守るにはどうすればいいのか。それはかなり難しいことでしょう。今言えるのは周囲に対する注意を怠っていはいけないということや、子どもを守るための何らかの方法を考えなくてはならないということくらいしか思い当たりません。スマホを操作しながら歩いている人などは良く考えれば犯行被害の標的としては無防備すぎることが分かります。

 被害を起こしそうな人をどのように識別するのか。これはもっと難しい。人権の問題なども絡むことで容易に色分けできません。もし、医学的にそのようなことが分かるのならば、その成果をもっと積極的に発表してほしい。また、レッドゾーンに至る前に手当てができる手段があるのならば、その方面の研究も必要です。たとえば世間に対する怨嗟が原因であるという仮説が正しいとするのなら、その恨みをどのように軽減できるのかを真剣に考える部署があってもいいのではないかと思います。

 世間が異質なるものに対して不寛容になっているのが原因という説もあります。今回の加害者が果たしてそれに該当するのかは分かりませんが、もしそうならば何か打てる手があったのかもしれません。この事件を未来の教訓として生かすことが被害者へのせめてもの鎮魂になるのではと勝手に考えています。

このまま夏になるのでは

 ここ数日、夏本番のような陽気が続いています。職場ではクールビズ解禁前で苦しい戦いです。しかし、このまま夏になるのではなく長い梅雨もあるはず。体調管理はこれまで以上に大切な要素になります。すでに風邪でつまずいてしまいましたのでこれ以上の害が出ないよう心がけたいと考えています。