方法次第
手帳の取り方について様々なアイディアがあることを知りました。出来合いの手帳を活用することも魅力的なのですが、いまはいわゆるバレットジャーナル的なオリジナル記載方法に関心が高まっています。
手帳術については実はたくさんの事例があってネットでもいろいろ検索できます。Pinterestというサイトではソーシャルメディアの感覚で手帳の記載方法を収集できます。そのなかでさらに自分なりのアレンジを加えて書いていこうと考えています。
大切なの持続できることです。あまりに高価な手帳や入手困難な文房具では続かない。手ごろに始められて続けられることが肝心なのです。私の場合は100円ショップで売っている程度の文具、携帯できる軽さ、そして保存できることを目標にしているのですが、保存性についてはまだ検討の価値があります。
何事も方法次第で生きたものになる。それを考えていかなくてはなりません。
さあやってみましょう
教え方改革にも取り組んでいる私なのですが、気がつけばチョーク・アンド・トークになっている。言っていることとやっていることが違うのです。
一斉授業の方が教える側には達成感がある。テストをやってもその方が平均点が高い。それもそのはず、自分の言ったことをどれだけ覚えたのかを試しているだけなのですから。
ただ、それが本当の思考力に結びついているのかといえばあやしいところがある。短期記憶で使い果たしたものは再利用ができないことが多い。私たちが伝えたいのは歩き方であり、泳ぎ方であり、自転車の乗り方です。つまり道が違っても応用できる力です。
そのためには一方的に話すだけではだめで、自分でやってみることが大切です。その機会をどう演出していくのか。さあやってみましょうと何回言えるのかが私の課題になりそうです。
自信をもって
いろんなことに不安を持ちやすい現代社会において、自信を堅持するのはたやすいことではありません。失敗を極端に恐れる若者が増えれば現状打破は難しくなり、新しい展開の可能性が摘まれてしまいます。
時代の変節店に偉大な先人が多く輩出しているのは、彼らが失敗を恐れずに取り組み続けることができたからだと考えます。当然ながらさまざまな苦難に遭遇し、時には命を削ることもあったのですから、決して過去がよかったなどとはいえません。ただ、才能を発揮して何かを変えることができたことは事実です。
乱世ではないにしても、いま危機感が世間に瀰漫しつつあるのは事実です。それを感じた人が何かを変えることを密かに期待しているのです。
生意気
やらなければならないのは生意気な子どもの育成かもしれません。従順で言われたことをやる人材はいざというときに動けない。多少失敗してもそれなりの自信を持ってことに当たる。楽観的で生意気な、素直で憎めない人材を必要としているのです。