はてなの毎日

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どこでもつなげること

 私はいまだにスマートフォンをもっていないのですが、そのかわりにタブレットを使っています。先日、Nexus7のLTE版を導入したのですが、やはり便利が良いです。もともと使っていたSIMカードを入れるとテザリング機能を通じてモバイルルータにもなるのです。性能もよく、残念なのはこれが国産でないことくらいです。

 以前は公衆無線LANを利用するため、マクドナルドや東急の駅などで端末を広げることが多かったのですが、その後モバイルルータを導入して移動中でもアクセスできるようになり、今度はSIM対応のタブレットによって端末兼ルータの役割を果たすようになりました。スマートフォンは当分いらなくなりました。

 さて、どこでもつなげることにはよい点が数多くあります。思いついたときに情報に接することができることはその第一でしょう。地図ソフトをナビゲーション代わりにすることもできます。私にとっては電子辞書・百科事典代わりにするのがもっとも多い使い方です。

 しかし、どこでもつなげることの欠点として、一つ一つの調べの価値が相対的に減少し、調べることに対する意味が薄くなってしまっていることです。学生時代、ある言葉を調べるために図書館の書棚を何度も往復し、結局その日は見つけられず、数日後にやっと探し出したということがあります。仏典の引用部分の典拠を求めるため、大蔵経の索引のそのまた索引を何度も引いて調べたこともありました。そういう苦労の末にたどり着いた情報はそれがどんなに価値が低いものであっても印象に残り、個々では無価値なものでもその蓄積がさまざまな意味をもつという経験をしたことがあります。

 インターネットで調べられることは、もちろんその内容の程度も限られたものですが、安易にアクセスできるためにかえって本来の価値よりも低く考えてしまいがちです。

 私はどこでもつなげる環境を一応手にしているのですが、それでも肝心なことは原書を探し、できれば実物を見にいくという態度だけは捨てなくないと考えています。