はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

自己を晒す若者たち

 国産のネットサービスの有望株といわれるツイキャスというものを覗いてみました。これは動画を一斉配信できるもので、簡略なライブ映像配信システムです。つまり、ライブ中継をパソコンやスマートフォンなどで簡単におこなうサービスなのです。

 しかもツイッターなどのIDがあれば容易に参加でき、視聴者は発信者に対して文字や音声のコメントを送ることもできるというものです。これまでも同種のサービスはありましたが、このシステムではハードへの要求が低いので手軽に参加できるのが売りなのだとか。

 サイトを開くとたくさんの「放送」が行われており、その多くには発信者の顔が映しだされています。かなり多くが若い女性であり、中高生も多いようです。自分の顔を映し出すことに抵抗がないのか、それともネット上に自己を晒すことの危険性を認識していないのか。いろいろと考えてしまいます。

 勇気をだしていくつかの「放送」にアクセスすると、大抵が他愛のない内容であり、何かに対する意見交換が行われているというわけでもない。発信者もそれにコメントを寄せる人たちも、自己の存在を認めてもらうことに儚い喜びを感じているとしか考えられない。住所を特定できる情報を公開している発信者もいて、プライバシーに対する概念が自分とは異なることを実感するのです。

 私はテレビ電話でも抵抗があるのに、まして不特定多数の人に自分の顔の晒すことは難しい。でも、例えば若い頃、テレビ局の取材を受けた時は喜んで応じていたことや、いまでも街角でインタビューされたら(内容にもよりますが)断らないであろうことを考えると話はそう単純ではありません。

 ただ、個人的な情報をどこまで公開していいか。どこまで公開しても「怖くない」かと思う感覚はやはりツイキャスのユーザーとはちょっと違う。フェースブックにも少々抵抗を感じ始めている私ですが、時代はもっと進んでいることを感じるのです。