はてなの毎日

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自撮り棒

 スマートフォンなどで自分を撮影する人はかなりいます。私もやったことはありますが、老け顔をいくらにやつかせても自己嫌悪に陥るばかりです。いまは自画像への関心はほとんど失せてしまいました。それでも写真に自分がどのように写るのかついては強い関心があることも事実です。どうして人はそんなに自分の顔をとることに熱中するのでしょうか。

 先日、中華街にいった時、中国系の人に写真を取ってくれないかとたのまれ、iPhoneのシャッターを押しました。最新型のもので、様々な個人情報も入った機械を手渡され、少々緊張しました。と同時に、私を信用してくれていることに対して嬉しく感じました。海外ではカメラの撮影を依頼することにはリスクがあるといいます。特に携帯電話やスマートフォンを他人に委ねることは危険を伴います。

 別にこれは外国人だからというわけではありません。相手が何人であろうと誰か見知らぬ人に写真の撮影を依頼することはリスクはあるのです。盗難に対するものだけではありません。細かいことを言えば、依頼を拒否されたり、相手から思わぬ叱責をされるという(可能性は低いものの)可能性もあります。そういう精神的に傷つく可能性までいれるならば、他人への撮影依頼は覚悟が要ります。

 また、赤の他人の前で写真用の笑顔を作るというのも、実はいくつかの心理的手続きが必要です。撮影してくれる人に気を使いながらも、シャッターが押される直前からはその人物を無化し、映像として残る自分の姿に関心を集中し、撮影終了後には再び撮影者に感謝をする。また、謝辞が終われば再び赤の他人に戻る。考えてみればこうした手続きにはそれなりの気遣いが必要なのです。

 こうしたさまざまな不安を取り除くものがあります。自撮りをするために最近売上を伸ばしているという撮影補助棒(通称自撮り棒、セルフカメラスティックの意味でセルカ棒ともいうそうです)は、こうした他人との関係を経ずに自分の写真が撮れるのが特徴なのです。これを使えば本来公共の場である社会空間を自分の力だけで撮影することが出来ます。これまでは誰かに頼まなくては社会の一員である自分の存在を確認できなかった私たちが、自分の手を機械の補助で伸ばすことによって、自分自身で切り取ることができるわけです。他者にとっての他者としての自分というもどかしさを自撮り棒は解消してくれるかのように思えるのです。

 もちろん画面上の光の粒の組み合わせが自分自身であるはずがなく、あくまで他者の作ったものを通しての自己確認に過ぎないのですが、それでも自分の力だけで自分を捉えることが出来たという錯覚は、私たちにとってはこれまでにない快感をもたらすのではないでしょうか。

 考え過ぎですかね。

 

 

 

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