はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

日較差17度

 今日の最高気温の予報は18度ということです。日較差17度という寒暖差の大きな日になるとか。一昨日も同じような現象がありました。三寒四温どころが日替わりの季節変動で、さらに一日の中にも冬と春があるという大変な陽気です。風邪は克服したばかりですが、今度は花粉症の心配もせねばなりません。

ごまかし

 最近、有力企業による各種調査結果に不正が見られるというニュースが連続していましたが、今度は国による統計にも不備が見つかっています。統計をとると様々な業績が悪化しているのは明らかなので、それをごまかそうという意図が働くのでしょう。

 日本の経済力や技術力がデクレッシェンドに進んでいることは紛れもない事実です。それを隠しても得られることは少ない。むしろ現実を的確に把握することによってこそ、撤退戦にも勝利する可能性が出てきます。

 メディアに横溢するそれでも日本はすごいという論調にも共通問題を感じます。現状の厳しさを隠蔽する偽物の報道もまた、とるべき行動を阻害する要因になってしまうでしょう。

 現実に目を向けることは時に苛酷ですが、そうしなければならない時期にいまはあります。

気温差

 季節を先取りした昨日の陽気から一転してまた冬の寒さに戻りました。暦の上での春はまた寒い日々に逆戻りです。

 絶対的な気温より格差によって体感は決まるのだそうです。今朝は一旦緩んだ耐性にはつらい寒さになっています。しばらくすれば三寒四温の季節になるのでしょう。

再興第103回院展横浜展

 横浜そごうにあるそごう美術館で開催中の「再興第103回院展横浜展」を観てきました。86の作品は多種多様であり、一概にまとめることはできません。ただ巡覧することから受ける印象は、日本画と洋画の画法の融合は独特の表現法を生み出し、さらにまだ発展しつつあるというものでした。

 写実性の高い風景画はあたかもそこに窓があるかのように感じさせます。しかし、よくそれを見ると画家が何に注目したのかがしっかりと描かれており、決して光学的な産物ではないことに気づきます。光の描写は明らかにディフォルメされており、本来直線であるはずの光線がわずかな波のようにも見える作品もありました。恐らくそのように見える風景だったのでしょう。心象を写したものと見ることができました。

 いわゆる抽象画はほとんどありませんでしたが、実景よりも心象風景を中心に描いた作品も多数ありました。目に見えることをそのまま描くのではなく画家の心に浮かんだものを対象を媒介にして形象化したものといえるのでしょう。この日は偶然、「魔物語」という作品を出品している村岡貴美男氏がギャラリートークをしていましたが、その言葉で印象的だったのは、絵は読書のように見るものだという意味の発言でした。そこに何が描き込まれているのかを読み解くようにみることが絵画の楽しみであるというのです。文字のような情報伝達力が強い記号でない分、絵画はその広がりがあるが、それを描くことに意味を感じている、と説明されていました。

 絵画という表現手段は実に奥が深いものであると改めて感じました。このデパートのなかにある美術館は、作品との距離が近く観覧者もそれほど多くはないのでゆっくりと楽しむことができる穴場だといえます。

過去の自分

 数年前に自分が書いたものを偶然発見して思ったことがあります。これを書いた覚えがない、全く忘れてしまっているということです。そういうことが時々あるのは自分の記憶力が怪しいことや、そういうことが起きる年齢になってきていることを意味するのかもしれません。

 おそらく急場をしのぐために急いで作ったものであったと思いますが、読み返すとそれなりの配慮や工夫は入っている。それなのに書いたこと自体を忘れてしまっているのです。

 過去の自分は正確には現在とはまったく別の存在ということもできます。私を構成する物質の多くはすでに入れ替わっており、そこから紡ぎだされる記憶や感覚も別のものに変化してしまっています。今の自分と過去の自分がつながっているというのは、おそらくは気休めの意味なら言えても、実態は異なっているのです。

 もちろん過去の自分に対して今の自分は責任を持ちます。過去に行ったこと、言ったことを基にして現在の思考や行動が規定されていくのです。そのためには自分が過去に言動を少なくとも記憶しておく必要があります。その記憶が全く途切れている場合、始めに述べたような驚きの発見になるのです。

 私は過去の自分を手放さないようにしなければならない努力を意識しなくてはならない時期に入っている。そう実感しています。

持ち味

 人それぞれには得意不得意があり、それを等し並みに扱うことは間違いです。何でも完璧にこなす人というのはめったにおらず、多くはどこかに足りない部分があります。その逆もまた然り。

 私たちは見た目や過去の出来事などから人との距離を決めてしまいがちですが、それは場合によっては偏見につながります。結果的に全体の人間関係に悪影響を与えたり、効率性や生産性を下げることに繋がるのです。

 人にはそれぞれ持ち味があり、それをどう活かすのかは誰もが意識しなくてはならないことです。