はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

背景

 人を見るときに表面だけで捉えることは好きではありません。結果がすべてという世界もありますが。もちろんそんな訳はありません。過程を見ないのは言い訳のようなものです。本当に人を動かすのは瞬時の場面ではなく、そこに至るストーリーだと私は信じます。

危機感

 博士号の取得者が日本において減少傾向であるという調査結果が報道されています。高度な技能を先導する人材の減少はこの国の根幹を揺るがします。

 なぜ博士を目指す人が減ったのか。そこにはいろいろな要因が考えられます。その根本に学ぶことに対する価値観の低下があるならば憂慮ははかりしれません。学びによって立国してきたこの国の原動力が損なわれては未来はありえません。

 制度的援助策は積極的にするべきです。人的投資を怠ってはならない。学ぶ価値については各所から語りかけるしかありません。焦眉の急の大問題です。

美意識

 陶芸の美を考えるとき、私は審美眼を鍛えられます。なにが美であるのかをじっくりと考えなくてはなりません。素直に理解できないこともあるのです。

 釉薬の垂れ具合を美意識をみること、ゆがんだりかけた茶碗を貴重だと考えることには日常の基準を超えた何かが必要です。昔よりはそれを感じることができているような気がするのですが、正直言って何がいいのかわからないことがまだたくさんあります。戦国武将が命をかけて守った茶道具などの良さは本当はよく分からない。美意識は本能的なものもあれば文化的なものもあると感じるのです。

 何を美とし醜とするのかは長年の鑑賞・観察で培われるものなのであるならば、私はまだ道半ばです。

加齢の意味

 歳をとるといろいろなことが不自由になります。疲れやすく病気にも罹りやすくなる。さまざまなことに挑戦することに躊躇する気持ちが生まれ、あと一歩が踏み出せなくなる。

 加齢は絶望の素であることは事実です。もっとできることがあるのにと考えたときに身体がついていかない。それはかなり残念なことであり、視界を暗くする要因です。

 ただ、有限の人生を生きるにはデクレッシェンドの記号はやはり必要なのかも知れません。少しずつ広げた風呂敷を畳んで行くには、前触れが欠かせない。そう考えるならば加齢のもたらす不都合な真実は意味がある。縮小再生産にはそれなりの美学もある。そのように最近は考えるようにしています。

責任者

 責任者という言葉の重みは大きいです。大抵のものは一人では責任など負いきれない。それなのに責任者を設けるのは物事の筋道を通そうとする考えによるのでしょう。部下に責任を押しつける上司は無能だと思いますが、現実にはそれが多い。残念なことです。