はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

国語教育

記憶の長期化のために

範囲を決めて小テストを課すと、驚くべきほど細かな点まで覚えてきて満点をとる生徒がいます。さすがに脳細胞の数が違うと感心してしまうのですが、その生徒が数週間後に行われる定期考査の時に同じ問題を全く答えられないのです。これにも別の驚きがありま…

復習させるノートの作り方

中学生を教えていた時に気づいたことがあります。ノートのとり方が素晴らしすぎることです。ノートがまるで市販の参考書のようにきちんと取られているのです。多色のペンで色分けされ、随所に挿絵までついています。おそらく、生徒が使ってきた小学生向けの…

根本的な迷い

中高生に対する国語の授業を情操教育や道徳教育のようなものにするのか、それとも母国語の基本的能力とそれに基づく思考力の育成に置くかについてはいつも迷いがあります。かつては前者こそが理想と考えていたのですが、最近は後者に傾いています。 日本語…

古典を教える時に

古典文学を教える時に中学高校の教師が陥りやすいのは、本文が完全に現代語に等価変換できると考えてしまいがちだということだと思います。もちろん、単語を教え、文語文法を教え、解釈の仕方を教えるということは作品が現代語に置き換えられるということを…

読解指導の方針

国語の教員としては当たり前のことなのですが、自分のために確認事項を書いておきます。 少なくとも、国語、取り分け現代文の授業はまずは本文に書かれていることを読み取ることに重点を置かなくてはなりません。厳密にいうと書かれていないことを読まない…

手段としての読解力

国語とりわけ現代文の授業でいまできることとしたら、読解の手続き、方法を教えることにつきます。一つ一つの文章を掘り下げてその内容の背景までを考察することは、時間的にも私の能力的にもとてもできません。できるのは、どうしたら短時間で筆者のメッセ…

答えられない質問

国語の教員として答えられない質問をされた時ほど慌てふためき、かつ嬉しいことはありません。言葉の意味とか基本的な文法の問題のような調べれば分かる類のものは、その調べ方を教えるだけで事足ります。そうではなくて、小説の主題や解釈についての質問は…

考えさせるために

小説を使った授業を行う際に気をつけなくてはならないのは、登場人物の心情を問う時の基本的な考え方です。肝要なのは書いてあることから考えるさせることです。 人の考え方はまさに十人十色で定式など存在しません。同じ風景を見てもそれぞれ感じることは…

現代文の学習法

高校の現代文の学習法は他の教科と比べて分かりにくいと言われます。確かに公式を覚えればできたりするわけでもなく、暗記でもないので何をやっていいのか分からないということになるのかも知れません。 私はそういう質問があると、テストや問題集の「復習」…

完了と過去

文語には「つ」「ぬ」「たり」「り」といった完了の助動詞と「き」「けり」という過去の助動詞とがあります。完了の助動詞は「・・・テシマウ」「・・・テシマッタ」と訳したり、「・・・テイル」「・・・テイタ」と訳し、時には「・・・タ」と訳します。ところが現在はいわ…

婉曲という文化

古典を教えていると日本語には数多くの婉曲表現があることに気づきます。推量の助動詞「む」は連体形で用いられるとほぼ例外なく、推量の意味が薄まり婉曲的な意味になりますし、「めり」をはじめとした推定の助動詞など、いわゆる推量系の助動詞が豊富なの…

古典の読み方

古典文学を読む上で、何を目的にするのかは様々なあり方があっていいはずです。先日、先輩から御著者をいただきましたが、それは古典を現代の視点で読み直すという興味深い内容でした。学生時代、厳密な研究で臨まれていた先輩の思い出とはかけ離れた筆致で…

後から分かるという手順

古文を解釈する際に気をつけなくてはならないのは、日本語には必ずしも主語は必要ではなく、述語の部分で動作主を表すということです。とりわけ敬語の使い分けは主語を決定する決め手になります。読者の立場でいえば、少し先まで読んで意味が分かるというこ…

心情語

古典を教えていていつも思うのは心情語の豊富さです。現代では「すごい」「やばい」でほとんどすべてを表現してしまう場合も多いのと対照的です。「あはれ」と「をかし」の対比は有名ですが、そのほかにもさまざまな心情表現があります。そのなかには意味の…

敬語の役割

ラジオ番組で「年下がためぐちを使うのは許容できるか」といった内容の話題が扱われていました。街角でインタビューした内容をもとに敬語がどのように使われ、どのように受け取られているのかを扱ったもので、私は運転中に聴いていたのですが、少し興味を惹…

かなし

かなし、という古語を教えるのは古典教育にとってはとても大事な要素の一つです。悲と愛がどうして同じ言葉なのかは文化を語る大事なネタだと思います。

スマートという選択

内外ともに不安が伴う昨今の情勢ですが、いま改めて求められるのは冷静な判断と賢い実行力です。これまで目先の利益に影響されて姑息な生き方をしてきた人が多かったと思います。しかし、この事態に至って大切なのは大局を見据えた行動に他なりません。

間の取り方

授業をしていてどうしても講義形式になってしまうことを反省することがあります。実は短大の教員をしばらくやっていた私にとって、授業が自己完結型に流れることが多いのは自覚しています。一方、中等教育の「国語」にとって大切なのは、知識のつめこみでは…

文字コミュニケーション

国際的にみれば日本人は寡黙な民族と考えられることが多いようです。しかし、これは口頭表現の場合であって、文字を使ったコミュニケーションの場合は様子が一変します。 例えばある統計によれば、日本語で書かれているblogの数は、英語で書かれているものの…

文法が先か読解が先か

中学生に古典を教えています。古典の勉強は興味を持つことが第一に優先されます。日常生活とは一見無関係な文章を読むのですから。興味がなければ暗号解読とかわりません。いわゆる古典常識と教育現場でいわれている、作品の歴史的背景や当時の人々の価値観…

速読古文の計画

辞書を引かずに古文をたくさん読めるようなテキストを作ろうと考えています。対象は中学生ですが、古文が苦手な高校生や社会人の再入門にも使えるテキストがいいと考えています。最初は短い文章で、場合によっては明治以降の擬古文でもいいと思っています。…

読書感想文で遊んでしまおう

全国のこどもたちが夏休みで最もいやなものといったら宿題かもしれません。その中でも読書感想文は苦手な人が多いのでは。あんなのを書かせるから読書嫌いが増えるんだという批判も前々からあります。ですがこれが一向になくならないのは、やはりそれなりに…

白象の微笑

授業で宮澤賢治の「オツベルと象」を扱っています。オツベルに巧く言いくるめられ過酷な労働を強いられた白象は、森の象たちに助けてくれと手紙を書きます。手紙を読んだ象たちはオツベルをやっつけることを話し合い、本当にオツベルを殺してしまいました。…

漢字の教え方

日本語にとって漢字はとても大切な要素です。漢字には音と意味の両方があり、一つの字に複数の読みがあります。それを一々覚えるのは大変です。 でも一旦覚えてしまうといろいろな働きをしてくれます。たとえばフカギャクという音を聞いただけでは何のことか…

国語の教科書の最初のページは漫画

新学期が始まりました。身じろぎもせず授業を聞いている生徒を見ると、私も身がひきしまります。お喋りや落書きをするようでは困りますが、あまり緊張し過ぎも困ります。情報の受信だけではなく、自分で考える力を身につけさせたい。それが私の課題です。 今…

旅は苦しきもの

漢文の授業で劉禹錫の「秋風の引」を教えていて気づいたことがあります。この詩は、 何れの処よりか秋風至る どこから来たのか秋風は 蕭蕭として雁群を送る ものさびしげに吹いて雁の群れを見送る 朝来庭樹に入り 今朝がた庭の木に吹き込んだのを 孤客最も先…

漢文を教えるのに大切なこと

国語の授業の中で漢文は少々厄介な位置づけにあるものです。返り点や送り仮名をつけて古代中国語を読むこと自体に抵抗があったり、そもそも中国古典文学を読むことに意味を見出さなかったりする人は生徒だけではなく、大人にもたくさんいます。教師仲間にも…