サイバー攻撃
Windowsの旧型を狙ったランサムウェアが国際的に大流行しているようです。すでにサポート期間が終わったXPを狙った攻撃ですが、イギリスなどでは公的機関がまだこれを使っていたらしく、被害が出ています。個人レベルならばともかく、公共の福祉に対する攻撃は看過できません。公共機関の情報管理に関してはやはり最新のものにしていかなくてはならないと思うのですが、予算や作業工程の期間の問題などで進まないと聞いたことがあります。
悪意がもたらす社会混乱という現実をもっと考えなければならないでしょう。ウイルスを仕込む人たちの狙いは何なのでしょうか。もしそれがわかれば、未然の対策もとれるかもしれないなどと考えているのです。
このウイルスはメールのリンク先から感染するようです。私も注意したいと思います。
安定した生活
ソニー生命が中高生に将来の夢を問うアンケートをしたそうです。どのような将来を期待するかという問いに、安定した生活と答える人が多かったとか。他にも好きなことを仕事にするとか、趣味に生きるというように安定志向が強いことが分かります。
なりたい職業も汗水垂らして働くというよりは、一度身につけた技能を生かして行くタイプの職が選ばれていました。動画作成者が職業として認識されていることはさすがに現代人です。
私自身のことを考えてみると、将来の夢を考えたのがいつだったのかはなかなか思い出せません。おそらく漠然と教員になりたいと思い始めたのは中学生を頃だと思います。でも確たるものではなく、むしろやりたいことをやっているうちに他には進めなくなったというのが真実です。
私の今の仕事はこうした夢を考えさせるきっかけを与えること、そしてそれを自分の言葉で語らせることなのです。
字の上手さと学力
ある方が字の上手い人は一流の学力を持っていないと語ったとか。これは明らかに間違いです。一流の定義や字の上手さを何で測るのかという根本的な問題は棚上げすることにしても一流の知識人のすべてが悪筆という訳ではないし、その逆でもありません。字の巧拙は別の要因になるものなのです。
日本には文字の形自体に芸術性を感じる感性があります。主に直線から構成される漢字と複雑な曲線からなるかなは、様々なバリエーションを生みやすく、それが書道という実用と芸術の両面を持った文化事象を生み出してきたのです。
学力向上のために字の美醜に教育の場で固執するなという意見もあります。私はある程度は拘るべきだと感じています。従前の文化的な側面を伝えるのは学校教育の使命の一つです。また、字が自分のためのみならず他人のための情報伝達手段であるということを伝えるためにも、読みやすい字を書かせるのは当然のことです。
変動幅
このところの天候は日によって変動の差が激しく体調管理が大変です。今日は夏日になるとの予報です。その日ごとにもっとも相応しい服装ができればいいのですが、そうもいかず身体の方を合わせようとする日々です。これが上手くいかなくなると風邪をひくから厄介です。しばらくは悩み多い毎日になります。
検診結果
定期検診の結果が帰って来ました。今回はかなり疲労していた時に受診したために覚悟していましたが意外なことに問題なしの回答です。よかったと思う反面、測定しきれない何かがあるのではと疑心暗鬼の思いでもあります。
どうもいわゆる更年期(というものがあるとして)が終わったようで、老化への大きな脱皮が一段落ついたのかもしれません。これからはとにかく身体に適度な刺激を与え続けて衰える速度を限りなく遅くすることに努めます。
まだやらなくてはならないことがたくさんあります。それにはまず体力、健康ですから。
直接選挙
主要国の大統領選挙が相次いでいます。アメリカ合衆国、フランスそして今日は韓国でも選挙があります。一国のリーダーを有権者が直接選ぶ制度は我が国にはなく、一種の羨望を感じます。ただ、アメリカ大統領のように制度上の問題や、一般国民が必ずしも正しい判断ができるのかという疑問も同時に感じさせてくれました。
アメリカでもフランスでも一部の有権者に選びたくてもふさわしい人物がいないという声が報道されました。一人の候補を選ぶということは様々な要素のうちの大半を切り捨て、自分の思いに近い人物を選ぶことになります。よく考えてみればこれは結構な賭けであり、危うさを感じるものです。
もっとも日本のような議院内閣制に慣れているからこそ、こういう風に思うのかもしれません。首相公選制なるものが仮にできたとしたら、私はどうやって代表を選ぶのか、選ぶことができるのだろうかと考えています。
弱味
誰にでも弱味があるものです。私などは弱味ばかりで、方々がほつれた布袋のようなものです。この歳になるとこぼれてゆくものを防ぐすべすらありません。
昔は格好よくありたいとばかり考えていました。そのためにさまざまな無理もこなしていました。最近は格好よりもやるべきことができたことを素直に喜ぶことにしました。
前よりできることの種類は増えた一方で、やり遂げるのに苦労するようになりました。身体の衰えは考える力にも及ぶことを実感しています。
せめていまできることを誰かに伝えることを目標にしたいと思います。