はてなの毎日

日々の思いを、思うまま

延期ならば

 オリンピックの延期が決定されました。中止ではなく延期というのは過去にあったでしょうか。とりあえず、病魔との無駄な戦いはひとまず回避されたことになります。

 さていわばオリンピックシフトで組んでいた様々な行事予定が今後どうなるのかはかなり心配です。会場予約などの都合ですでに動かしようもないこともあるでしょう。果たしてどうなることか。

 非常事態ですから柔軟に予定変更ができる環境を作り出す必要があります。影響力のあるスポーツやエンターテインメントの世界で興行のフレックスさや相互扶助の手本を見せてほしいと思います。実業の世界はそんなには甘くはないとは思いますが。

 オリンピックは延期するならばいっそのこと来年秋でどうでしょうか。それならば猛暑問題も解決するのでは。素人考えに過ぎませんが。

実態との乖離

 ヨーロッパは都市封鎖をしているとの報道まであります。東京は外出自粛の呼び掛けはあるものの都市機能は停止しておらず、いま乗車している電車にも多くの乗客がいます。報道と現状には大きな違いがあります。

 日本で感染者数が爆発的に増えてはいないのは検疫の精度が低いからだと言われます。おそらくそれもあるのでしょう。韓国の例をみても日本の発症例の低さは明らかに変です。ただそれならば死者の数が爆発的に増えないのはなぜだか説明できない。

 清潔好きの国民性に理由を求める人もいますがそれもかなり主観的です。理由が分かれば予防法として貢献できる可能性もあるのではないでしょうか。

 とはいえ確実に感染者と死者が増えているのは残念ですが事実です。少しでも早く終息することを願います。

オリジナルもどき

 オリジナルなものを作りたいとはいつも思っていることです。しかし、そう簡単にはいかない。新しいものを作るためにはいろいろな準備が入ります。また、もっとも大切な創造力についてはいつ降りてくるのかわからない。

 そこで、まずは今あるものを組み合わせていろいろ作ってみることは意味があると考えています。少し味方を変えてみれば新しいものはきっとできるはず。それが便利のいいものであればもっと良いはずです。

 あふれるものや情報の中で自分の創意工夫の発揮できる場がわからなくなっている。諦める前に自分が今できることは何かをよく考えてみることが大事です。オリジナルはすぐには作れなくてもオリジナルもどきはできるはず。まずはそのもどきから本物へと発展させていこうと企んでいます。

駐車場の土筆

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駐車場の土筆

 近隣の駐車場のわずかな緑に今年も土筆が出ているのを見つけました。もう何日も前に出ていたものです。オオイヌノフグリの鮮やかな色もアクセントです。昔は土筆の群生を摘んできたものを、母がおひたしにしてくれたものでした。決しておいしいものではありませんでしたが、春の風物詩の一つでした。

 

学校再開を

 コロナウイルス感染対策で学校閉鎖が続いています。まもなく学期終了となりますが、新年度からは通常授業ができるかもしれません。

 政府の方針として発表された情報によれば、新学期からの学校再開は一定の配慮のもとに認めるというものです。概ね賛成です。登校時間や授業のやり方に対して一定の制限はあるかもしれませんが、子どもたちに学びの機会を与えることの方が大事です。本当はもっと早く再開してもよかった。

 何も起きないのがいいに決まっているのですが、万一感染者が発生しても一定の手続きで再開ができるように予め方針を決めておくべきでしょう。欠席の扱いも一時的に緩和しても構わない。大事なのはすべての子どもたちから学びの時間を奪うのは行き過ぎだということです。

 我が国にとって人材育成のみが持続可能性を保証するものであるという先人の箴言を思い起こすべきなのです。

お別れ

 叔父の葬儀に行ってきました。気さくで物事にとらわれない自由人だった叔父は、いつも既存の権威に対して懐疑的でした。学歴社会に関しては特に懐疑的で、学校に行っても何にもならないといつも言っていました。

 どういうわけか私は大学や大学院に行き、叔父の言葉とは逆の人生を歩むことになりました。お前の行っている大学だっていつどうなるかわからないんだよ、といつも言われていたことを思い出します。

 程度の差こそあれ、大学に行けば人生が保証されるという時代は終わっています。ある意味で叔父の勘は当たっていたとも言えます。ただ学歴を持つだけではなく、そこで何をするのか。自分の領分にどれだけ取り込めるのかということが大事なのですから。

 親戚の死は悲しい。そしてやがては自分の番がくるということを予感させる何かがあります。

分断か連帯か

 コロナウィルスの世界的流行の影響は予想をはるかに上回るものになっています。イタリアを中心とするヨーロッパの状況は深刻です。中国が発生源と言われていたのがいつの間にか欧州がその地位を奪ったようです。

 自宅待機を余儀なくされた人々は隔離による分断という現実に直面しています。ばらばらの状況が生み出す心理的な影響は大きい。さらに各国が出入国を制限する鎖国状態になり、国際的な分断、場合によっては差別意識も出始めています。

 一方で同病相憐れむという考え方も現れてきています。ウイルスに感染するのに人種や職業、貴賎の差は関係がないと気づけば分断基調の世界情勢に変化がもたらされるかもしれません。

 ウイルスに関する騒動は人類の叡智に対する何者かの挑戦ということもできるかもしれません。