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集団知

 人類が他の生物と大きくかけ離れた能力を持っていることの一つに、他者と意識的に強調協力して一つの目標を達成する力があるとはよく言われます。かつては自分より大きく強い生き物を狩りして食料とするために、集団を作りそれぞれの役割を分担して行動したようです。これは農耕でも、交易でも、都市生活でも、また戦争や略奪でも生かされました。

 私たちはこの能力をどこまで伸ばせるのか。通信技術の進歩が遠く離れた人とのコミュニケーションを可能にし、さらにネットワークが発展したことで様々な情報が瞬時に大量に交換できるようになりました。最新技術ではあたかもその場にいるかのような状況を作り出すことも可能になりつつあります。

 私たちは情報を載せる入れ物や運ぶ機械は造ることができました。問題はそれを使えるかです。使うというのは操作するということではなく、それを自分の生活に取り込めるのかと言うことです。例えば私の場合、40人位のクラスを担任していますが、その全員の顔と名前と大体の性格や物の考え方を覚えるのはなんとかできるかもしれません。それが80人になるとかなり怪しくなり120人では取りこぼしが大量に発生します。240人になるとつねにメモが必要だし、480人ではほぼ絶望的に集団成員を把握できません。

 データベースの力を借りてそれもクリアしたとしても1000人に至らぬ前にすでに自分の組という意識は持ちにくくなります。それをSNSは「ともだち」という魔法の言葉で均一視してしまいます。そこでどのように振る舞うのか。自分の役割は何かを見極めることが難しくなります。

 集団知を形成できない集団は滅亡するという進化論のひそみに倣うならば、今日の私達の置かれている現実は極めて危ういものであることになるでしょう。協力する気持ちを形成できないまま、自分の能力をはるかに超えた数の集団の一員だと思いこんでいるわけですから。

 私達が今できることはいたずらにバーチャルな集団にのめり込むことなく、眼の前にいる人々との関係をどのように築き上げ、そのなかでどのような知を形成していくのかを真剣に考えることに違いない。そのように思っているのです。